印鑑の歴史

日本最古で現存する印鑑は「漢委奴国王」の金印で、1784年に福岡県福岡市東区志賀島で発見されています。
印鑑制度の始まりは、中国の官印という役所で使用される印の制度が日本に渡来し整備されたのは奈良時代で701年に律令制が整ってからであると言われており、当時は公印としてのみ印鑑が使われ、私印の製造や使用は禁止されていました。
その後平安時代に入り、貴族にも私印の使用が認められるようになりました。また、平安時代の中期に入ると花押(かおう)が使用されるようになります。
花押とは草書体に崩した署名(草名)を極端に形様化したもので、中国の斉において発生したとされており、東アジアの漢字文化圏に多く見られ、日本においても戦国時代になると花押の様式が多様化し、実名を元に作成され図案化されたり、家督を継いだ子がそのまま花押を引き継いだりといった印鑑的な役割を果たしており、江戸時代まで盛んに用いられました。
また、戦国時代には花押と併用して私印も盛んに用いられ、織田信長は「天下布武」上杉謙信は「地帝妙」徳川家康の「福徳」豊臣秀吉の「豊臣」など権力と威厳を表す私印も用いられました。
江戸中期になると花押よりも、印鑑が用いられるようになりました。
1873年には実印のない証書は裁判上の証拠にならない旨の、太政官によって交付された目地時代初期の法令である太政官布告が発せられたことによって花押は姿を消し、印鑑が正式な書類には必要とされる、実印制度が定められました。